
どうも、こばりょー(@kobaryo_KobaLab)です。
作家のはあちゅうさんの「半径5メートルの野望」という書籍を読みました。
前から読みたいと思っていて、ようやく手をつけられました(笑)
この書籍の中では、はあちゅうさんの考えが詰まりに詰まっていて、納得できる考えが多すぎて、クビがもげるほど頷いて読んでいたんですね。
でも、その中で頷くのも忘れるくらい僕の心をえぐってくる言葉あったんです。
その部分を丸々引用させてもらいます。
退屈という感情は、自分の所属している場所を教えてくれることもあります。気の合う友達とわいわいしゃべっている時間は、他にも代えがたい人生の楽しみです。けれど、昔仲の良かったメンバーに数年ぶりに会って、いまいち会話が盛り上がらなくて退屈だったら、それはもう、自分がその場所にいるべき人間ではないことのサインかもしれません。
最近感じた違和感と、この内容がめちゃくちゃマッチして、思わず頷くことも忘れてしまったんです。
自分の中で噛み砕いて、「退屈に感じる=居場所を教えてくれる」というのがめちゃくちゃ大事な考えだと思ったので、ここにまとめておきたいと思います。
僕が地元に帰省した時に感じた違和感
まずは、僕が最近感じた違和感が何かというと、地元の友達との会話に物足りなさを感じたんです。
今年の夏に地元に帰省した時に、久々に高校の友達と飲みに行ったんですね。
その時に、高校の頃の昔話とかもして、普通に楽しかったんですけど、途中で将来のこととか仕事の話になったんです。
将来の話とか仕事の話になって、友達が「いついつに結婚して〜」「子供何人作って〜」「マイホーム持って〜」「老後はのんびり〜」とか言い始めたんですよ。
その話が始まった瞬間、なぜかめちゃくちゃ退屈だったんですね。
その友達のことは好きだったし、久々に会えたから嬉しかったのに、その話がめちゃくちゃ退屈だった。

普通にこう思っちゃいました。
僕は別に、「そんな古い考えするな!」とか言いたいわけじゃないんです。
その人生設計って、友達が持っている価値観から生まれてくるものだから、それは大事にして欲しいです。
僕の友達がそれで幸せを感じてくれるなら、それで良いと思います。
でも、僕はその話を聞いていて退屈だったし、めちゃくちゃ違和感を感じたのは事実でした。
僕はずっと刺激を受けていたいし、退屈な場所に時間を割きたくない
僕は、今幸せなことに、めちゃくちゃ刺激的な人たちが周りに溢れています。
そういった人たちの考え方とか、発言は本当に刺激をくれて、ちっとも退屈さを感じさせません。
それが良いのか悪いのかっていうのは、人それぞれだと思います。
でも、今、僕はそういった刺激的な場所に身を置いていたいと思っています。
できれば、そういった人たちに刺激を与えられるような人にもなりたいです。
退屈だと感じる場所には、本当に自分の大切な人生の時間を割きたくない。
そう思っている時点で、やはり僕はそういう退屈な場所からは身を引くべきなのかもしれません。
たぶん、そういうところで僕がわくわくする話をしても、相手は退屈なんだと思います。
はあちゅうさんが言う「退屈=居場所を教えてくれる」という言葉のおかげで変なモヤモヤが取れた気がします。
これは人間関係の話だけではない
はあちゅうさんは、書籍の中で人間関係を例に出してこの考えをわかりやすく書いてくれています。
でも、この考えって、人間関係だけに当てはまるものじゃないとも感じました。
大きいもので言えば、仕事にも当てはまります。
それに加えて、趣味や、読んでいる本、ファッション、食事…身の回りのものすべてに当てはまるんだと思います。
少しでも「退屈だな」と思ったものは捨てていくべきなのかもしれません。
退屈だと感じるものを捨てていくことで、さらに自分がわくわくするものに触れる時間が増え、さらに自分がアップデートされていく…そんな好循環ができるんじゃないかと感じました。
あなたも、自分が「退屈だ」と感じるものが身の回りにありませんか?
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